ソフト・パレード(50周年デラックス・エディション)/ザ・ドアーズ
ここ数日、わりと朝から忙しくて。ありがたいことですが。おかげでブログ更新の時間があまり取れず。なので、またまた続けざまではありますが、再発もので軽く乗り切らせていただきます。しかも先月リリースのもの。すんません。時間があったらベックの新譜のこととかも書きたいんだけど。まあ、すでにいろいろなところでいろいろな人が熱く語っているようだから、後回しでいいか、みたいな(笑)。
というわけで、今朝紹介するのはドアーズが1969年にリリースした4作目のオリジナル・アルバム『ソフト・パレード』の発売50周年記念デラックス・エディション。やー、懐かしい。ぼくがはじめて買ったドアーズのレコードは、このアルバムからのシングル・カット曲「タッチ・ミー」だった。
彼らにとって7曲目のヒット・シングル。でも、今となっては信じられないことだけれど、この「タッチ・ミー」を含む『ソフト・パレード』というアルバム全体、ホーン・セクションやストリングス、パーカッションなどを大胆に導入したポップな仕上がりになっていたせいで、こんなのはロックじゃない、ドアーズじゃない、こいつらコマーシャルに堕した、魂を売った…と当時の音楽ジャーナリズムから罵倒されていたのをよく覚えている。確か『ミュージック・ライフ』みたいな、わりとポップ寄りの音楽雑誌にもドアーズ堕落説が載っていたっけ。時代だったなぁ。それもまた懐かしい。
当時まだ中学生で、楽しいポップスが好きでしょうがなかったぼくにとっては、最高にかっこよく躍動的な「タッチ・ミー」のどこがいけないのか、どこがロックじゃないのか、さっぱりわからなかったものではありますが。
ロックという音楽が若い世代にとって究極のカウンター・カルチャーとして機能していた1960年代半ば、既成の価値観にアンチをとなえるようにしてデビューを果たしたバンドだっただけに、誰もがドアーズ、とりわけ中心メンバーだったジム・モリソンの音楽を、歌詞を、ステージでの振る舞いを、日頃の言動を、すべて何が何でも当時の社会に対する辛辣なメッセージとして受け止めたがっていた感もあり。そういう時代ならではの意識のすれ違いというか。
この状況は日本に限ったことではなく、米国でも同じだったようで。よし、それだったらホーンやストリングスなどを抜いたドアーズだけの演奏で『ソフト・パレード』を再構築してやろうじゃないか、と。そういうコンセプトを実現したのが今回の50周年記念エディションなのだった。
含まれているCDは3枚。ディスク1にはオリジナル・アルバムの収録曲9曲に、アルバム未収録のシングルB面曲「フー・スケアド・ユー」をボーナス追加。最新リマスタリングを手がけたのは、もちろんブルース・ボトニックだ。
ディスク2には、ホーンやストリングスのダビング分を外して新たにミックスし直された“ドアーズ・オンリー・ヴァージョン”5曲(「テル・オール・ザ・ピープル」「タッチ・ミー」「ウィッシュフル・シンフル」「ラニン・ブルー」「フー・スケアド・ユー」)、そこに本作の曲作りにがっつり咬んでいるロビー・クリーガーが新たにギターをオーヴァーダブした3曲(「タッチ・ミー」「ウィッシュフル・シンフル」「ラニン・ブルー」)、およびレイ・マンザレクがヴォーカルをとった「ロードハウス・ブルース」の初期ヴァージョンなど貴重なスタジオ・リハーサル・テイク3曲。
ディスク3にはブートレッグでおなじみ「ロック・イズ・デッド」の1時間に及ぶコンプリート・ヴァージョンをはじめアウトテイクが4曲。このCD3枚に、オリジナル・アルバムの内容を収めた180グラム重量盤アナログLP1枚を加えた変則4枚組。
ということで、目玉はドアーズ・オンリー・ヴァージョンを収めたディスク2ということになりそうなのだけれど。いざ聞いてみると、微妙。まあ、これはぼくのごくごく個人的な意見ではありますが、特によくないというか(笑)。やっぱりこのアルバムに関してはホーンもストリングスも入っていたほうが断然かっこいいということが逆に証明されたボックスセットかなと思う。
当たり前か。もともとそういうオーケストレーションをほどこすことを前提にアレンジされたのだろうし。作った側からしてみると、ピュアリストたちがうるさく言うからホーンとストリングス外してみたけど、ほら、やっぱりよくないじゃん的な?
1970年代以降、ロックにホーンやストリングスが導入されることなど、ごく当たり前のものになっていく。そういう意味では、いち早くそうした方向性を積極的に打ち出したドアーズの先見の明こそ、『ソフト・パレード』というアルバムおよび本ボックスセット最大の意義だ、と。そう解釈するのが適切なのかも。
とはいえ、それじゃこのデラックス・エディションが無意味なものなのかというと、そうでもなくて。計13曲の未発表トラックを含むディスク2と3がなんだかんだ言って興味深いものであることは確かだし。ジム・モリソンが様々な面で混迷を深めつつあった時期、ロビー・クリーガーを中心に、いかにドアーズがバンドとしての方向性を立て直そうとしていたか、その新たな方向性にジム・モリソンがどう関わり、反応しようとしていたか、結果、両者がどんなふうに軋みを上げていたか、そのあたりの試行錯誤をオーヴァーダブなしの音像で赤裸々に追体験できる、ファンならばやはり無視できない箱ではあります。