シャドウズ・イン・ザ・ナイト/ボブ・ディラン
きわめて私的な話ではありますが。小学生のころ、当時ヒットしていた「夜のストレンジャー」をラジオで聞いたのがぼくのフランク・シナトラ初体験だったような…。もちろん、当時は特に深くハマるようなこともなかったわけだけれど。高校生になって、73年、リリースされたハリー・ニルソンのアルバム『夜のシュミルソン』を聞いて、がぜんシナトラのことが気になり始めた。同じような体験をなさった同世代の方も少なくないと思う。
『夜のシュミルソン』は、名匠ゴードン・ジェンキンズが編曲/指揮するゴージャスなストリングス・オーケストラをバックに、ニルソンが往年の名スタンダードを、なんとも渋いしゃがれ声で淡々と歌い綴った1枚で。そこに収められた数々の名曲そのものの魅力にはもちろん、ジェンキンス指揮のオーケストラのふくよかな響きにやられた。ハマった。受験勉強しながら、えんえんこのアルバムを聞いていたものだ。懐かしい。そして、このサウンド・スタイルがかつてのフランク・シナトラのそれに倣ったものだということを知って、以降、ちょっとずつシナトラ自身のアルバムにも接するようになった。
まあ、だからといって、いきなりシナトラという雄大なシンガーの良さがちゃんと理解できたわけではなかったのだけれど。それなりにわかったような気になりながら、しつこく聞き続けるうちにだんだん、彼のとてつもない歌心と表現力のとりこになっていった。やがて30歳を超えたころになると、もうずぶずぶ。音源コンプリートを目指して飽くなきレコード・ハンティングにいそしむようになっていた。
一方、ぼくは中学時代からボブ・ディランも大好きで。こちらも当時、音源コンプリートを目指して勇躍レコ狩り中。といっても、この両者に何らかの共通項を感じていたわけではなく。それぞれ別々のものとして追い続けていた。
ところが、ある時期、いつごろかな、映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のサントラで聞いたディランの「ユー・ビロング・トゥ・ミー」のカヴァーに出くわしたころだろうか。なんか、両者には不思議な共通点があるような気がしてきて。特に21世紀に入ってからは、「ムーンライト」とか「ホエン・ザ・ディール・ゴーズ・ダウン」みたいな、ロックンロール以前の音楽に通じる魅力をたたえたオリジナル曲を作ってみたり、ディーン・マーティンの「リターン・トゥ・ミー」のカヴァーをしてみたり、例のクリスマス・アルバムをリリースしてみたり、ディランもかなり意識的にそっち方面に歩み寄ってきたような感触があった。
ディラン自身がDJをつとめた『シーム・タイム・レディオ・アワー』での選曲ぶりなども含め、この時期からのディランは、ポピュラー音楽の源泉はブルースとかカントリーとかゴスペルとか、そういうアーシーな方向にのみあるのではなく、より洗練された、ハリウッド的、ティン・パン・アリー的なところにもあるのだ、と。そんなことを主張してくれているように見えた。かつて「ボブ・ディランのブルース」のイントロで、“最近のフォーク・ソングはティン・パン・アリーと呼ばれるニューヨークのアップタウン地区で作られている。でもこの曲は違う。アメリカのどこか、もっと南のほうで作られたものだ…”と威勢のいい語りを聞かせていたディランではあるが、時の流れが彼の受容感覚を大きく広げたのかも。
だから、きっといつか来るだろうとは思っていた。そして、ついに来ました。ディランのシナトラ持ち歌カヴァー集。ぼくにしてみれば夢の合体劇だ。やー、たまらない。超有名曲と渋めの曲とが混在する選曲も見事。ドニー・ヘロンのペダル・スティールを中心に据えて、往年のウェスタン・スウィング系バンドによるジャジーなバラード演奏を思わせるサウンドで全編を貫いているのもごきげん。
そして、何よりもディランの歌だ。シナトラにも負けない、言葉をひとつひとつ的確に聞き手の心まで届けるようなストーリーテラーぶりにしびれる。個人的にはサイ・コールマン作の「ホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ」が最高にお気に入り。去年のツアーでも歌われたという「ステイ・ウィズ・ミー」もかなりすごい。“もう凍えそうだ。疲れ果ててしまった。自分が罪人だと知りながら、隠れ家を探し続け、風に打たれて泣いている…”と歌われるところなど、シナトラの堂々たる歌唱と対照的な、もうほんとに死んじゃうんじゃないの、と思わせる切実さに貫かれていて。やばい。
結局、優れた歌手も、優れたシンガー・ソングライターも、まず優れたストーリーテラーでなければならない、と。そんな事実を思い知らせてくれる重要な1枚だ。クセになります。
【追記】2015.02.04
そういえば、去年の夏、こういうのも出しました。新作に至るまでのディランの歩みをチェックしてみたい方、ぜひ。