ザ・クライング・ライト/アントニー&ザ・ジョンソンズ
アントニー・ヘガティというと、ビョークをはじめ多くのアーティストのアルバムへのゲスト参加が続いていたこともあって、ずいぶんと活発に活動している感触はあるけれど。フル・アルバムとしてはこれが3作目。孤高の舞踏家、大野一雄の若き日の写真を使ったジャケットにまず思い切り引きつけられる。アントニーは大野一雄の大ファンなのだとか。西欧モダニズムから脱却して、あくまでも日本のアーティストとして独自の無垢さとかリアルさとかを表現しようとしてきた大野一雄とアントニーとでは、もちろん活動の場も、表現の手段も、まったく異なっているわけだけれど。でも、陶然たる瞬間と苦悶の瞬間とがスリリングに交錯する世界観は両者に共通するもの。いいジャケットっすね。
ニコ・ミューリーによる淡々とした、しかし麗しいアレンジをバックに、自然の中に自らがいかに“在る”かが歌われていく。おなじみの深いファルセット唱法でドリーミーに、牧歌的に、慈悲深く綴られてはいるものの、時折、聞く者の心を鋭く突き刺す表現が顔を出したり。一筋縄にはいかない。ルー・リード、ルーファス・ウェインライト、ボーイ・ジョージらがゲスト参加した前作のほうがぐっとシンプルで、確かにとっつきやすかったかもしれないけれど。アントニーの世界観はこの新作でこそ全開になっている。ひたすら“悲しみ”に眼差しを注いだような前作に比べ、より外側に目線が開かれているのが新味か。
この人の音楽を聞くたび思うのだけれど、米国育ちの英国人、という、微妙な立ち位置がきっとこういう自由な発想を生み出しているんだろうなぁ。ルーファスともども、今後が楽しみな音楽家のひとりです。