Disc Review

These Are The Good Old Days: The Carly Simon & Jac Holzman Story / Carly Simon (Elektra/Rhino Records)

ジーズ・アー・ザ・グッド・オールド・デイズ:ザ・カーリー・サイモン&ジャック・ホルツマン・ストーリー/カーリー・サイモン

カーリー・サイモンという人は1971年、ソロ・デビューを飾った当初、キャロル・キングやジョニ・ミッチェルらの流れというか、アコースティカルでナチュラルな女性シンガー・ソングライターのひとりという感じで語られることが多かったのだけれど。

その後の歩みをたどってみると、この人本来の魅力というのは、もっとポピュラー・ヴォーカル寄りで。スタンダード・ナンバーをカヴァーしたり、007映画の主題歌を歌ったりすることも矛盾なくこなせる個性というか。そういう資質を持ちつつ、でも当時のポップ・フォーマットの最新型だったシンガー・ソングライター・サウンドを取り入れながらデビューしてきた人って感じだった。

1945年、ニューヨーク生まれ。サイモン&シュスター出版社の創立者のひとりで、おうちでショパンやベートーヴェンを弾いたりするのが好きなピアニストでもあった父親をはじめ、ファミリー全員が音楽好きだったため、幼いころから音楽に親しみながら育ち。

1960年代半ばには姉のルーシーとともにザ・サイモン・シスターズとしてレコード・デビュー。1964年、ユージーン・フィールドが書いた子供向けの詩にルーシーが曲をつけたシングル「ウインキン、ブリンキン・アンド・ノッド」を全米73位にランクさせている。けど1966年、ルーシーが結婚したためデュオは解散。

1967年、カーリーはボブ・ディランやピーター・ポール&マリーのマネージャーとしておなじみ、アルバート・グロスマンのもとで4曲をレコーディング。ただ、女性版ディランとして売り出そうとするグロスマンと意見が合わず、その音源はお蔵入りに。その後もいくつかのバンドに参加したり、やがてソングライター・パートナーとなるジェイコブ・ブラックマンと付き合ったり…。

そうこうする中、カーリーはデヴィッド・ブロムバーグらの助けを借りながら5曲入りのデモ・カセットを制作。いくつかのレコード会社に送ったところ、エレクトラ・レコードの創設者、ジャック・ホルツマンの耳にとまった。興味を持ったホルツマンはグリニッジ・ヴィレッジのクラブで歌っていたカーリーのもとへ。彼女をランチに誘った。そのランチをきっかけに1970年、カーリーはエレクトラと契約。翌年アタマ、アルバム『カーリー・サイモン』で晴れてソロ・デビューを飾った。このファースト・アルバムが全米アルバムズ・チャート30位まで上昇し、シングル・カットされた「幸福のノクターン(That's the Way I've Always Heard It Should Be)」も全米10位にランクしている。

同年暮れには、早くもセカンド・アルバム『アンティシペイション』がリリースされた。曲によってストリングスが入っていたり、当時付き合っていたというキャット・スティーヴンスが参加していたり。が、基本的には本人のヴォーカルとピアノ+ギターに、アンディ・ニューマーク(ドラム)、ジミー・ライアン(ベース、ギター)、ポール・グランツ(キーボード)が加わった当時のレギュラー・バンドでレコーディングした1枚だった。アルバムは全米30位。シングル・カットされた表題曲は、ハインツ・ケチャップのテレビCMに使用されたことにも後押しされて全米13位、イージー・リスニング・チャート3位を記録した。

ぼくが初めて買ったカーリーのアルバムはこれでした。懐かしい。あ、こういうコード感の曲をアコギでやると気持ちいいんだな…と、ものすごく新鮮だった「サマーズ・カミング・アラウンド・アゲイン」とか、ほんとよく聞いたものです。ジェイムス・テイラーと結婚したのもこのころ、1972年のことだった。当時のぼくはJTが大好きだったこともあり、カーリー・サイモンはぼくにとって一気に気になる存在になったのでした。

でもって、1973年。サード・アルバム『ノー・シークレット』の登場だ。プロデュースはファーストのエディ・クレイマー、セカンドのポール・サムウェル・スミスに代わって、必殺ポップ仕事人、リチャード・ペリー。ローウェル・ジョージ、ビル・ペイン、ライ・クーダー、ジム・ケルトナー、ジム・ゴードン、ニッキー・ホプキンス、クラウス・フォアマン、ポール・バックマスターら英米混在の腕ききたちをはじめ、ミック・ジャガー、ポール・マッカートニー、リンダ・ロンシュタット、ボニー・ブラムレット、ドリス・トロイ、ジェイムス・テイラーなどそうそうたる顔ぶれがこぞって参加した1枚だった。

ご存じ、シングル「うつろな愛(You’re So Vain)」が全米ナンバーワンに輝く特大ヒットを記録。アルバムのほうもついに全米1位に。続くセカンド・シングル「愛する喜び(The Right Thing to Do)」も全米17位。日本でも一気にカーリーの知名度が上がった。その年実現したジェイムス・テイラーの初来日公演にも夫人として同行。最終日のアンコールで登場し、JT&セクションをバックに「うつろな愛」を披露してくれたっけ。ぼくを含む当夜の観客はやけに得をした気分になって、JT本人を迎えたとき以上の熱狂的な拍手でカーリーを大歓迎したものだ。JTの複雑な表情が今も忘れられない(笑)。

と、そんな初期3作のオリジナル・アルバムからセレクトされた楽曲で構成されたのが本作『ジーズ・アー・ザ・グッド・オールド・デイズ:ザ・カーリー・サイモン&ジャック・ホルツマン・ストーリー』だ。選曲&キュレートはホルツマン。完璧にクロノロジカルに編まれているわけではなく、多少の行きつ戻りつはあるものの、ざっくり年代を追う形での構成。ホルツマンとのランチ・ミーティングを呼び込んだデモ・セッションから、ファースト・アルバム収録曲「アローン」の未発表初期ヴァージョンも蔵出しされているし、後年ボックスセットで発掘された1972年のアウトテイク、ジョン・プラインの「エンジェル・フロム・モンゴメリー」のカヴァーも収められている。

当時最新の潮流だったアコースティカルなシンガー・ソングライター・ムーヴメントの流れに巧みに乗りながらカーリーをデビューさせ、やがて彼女本来の持ち味が活かせるよりポップなフィールドへとごく自然な形で誘導していったホルツマンの手腕を駆け足で再確認することができるアンソロジーという感じか。その後、現在へと至るカーリーの歩みももちろんいいけれど、デビュー当初の、ちょっぴり謎めいた、クールなカーリーの感触もやっぱり素敵だったな、と改めてしみじみ。

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