ストックホルム・ケース(DVD)
今朝は映画のご紹介。
誘拐事件などの被害者が、極限状態の下、犯人と長い時間を過ごすうちに奇妙な心理的連帯感というか、好意的な感情を感じるようになってしまう、いわゆる“ストックホルム症候群”というやつがあるけれど。その語源ともなった“スウェーデン史上もっとも有名な銀行強盗事件〜ノルマルム広場強盗事件”を題材にしたクライム・スリラー『ストックホルム・ケース』。昨年11月の劇場公開、今年3月のデジタル配信に続いて、このほどDVD/ブルーレイも出たので取り上げておきます。
監督はチェット・ベイカーの半生を描いた『ブルーに生まれついて』でもおなじみ、ロバート・バドロー。主演も同作で独自の存在感を放っていたイーサン・ホーク。
ホークが扮しているのは、ラースという小悪党。彼は何をやってもうまくいかない現実から逃れて米国へと旅立ちたいと思い銀行強盗を実行する。1973年8月のことだ。人質をとり、刑務所に囚われているかつての犯罪仲間グンナーの釈放と、金と、逃走用の車を要求するのだが、事は思うように進まず、ラースたちは人質とともに行内に籠城。事件が長期戦となるうちに、犯人と人質の間に奇妙な共感が生まれて…。
みたいな。そういう話なのだけれど。この映画が昨年、東京で劇場公開された際、僕はパンフレットにちょっとした文章を寄稿させてもらっていて。というのも、劇中歌にボブ・ディランの曲が4曲使われていたから。「新しい夜明け(New Morning)」のホーン・セクション入り別ヴァージョンをはじめ、「今宵はきみと(Tonight I'll Be Staying Here with You)」「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」「明日は遠く(Tomorrow Is a Long Time)」。その辺の意図を深読みしてみてほしいという依頼を受けて書かせていただいた。
そのときの文章を一部、抜粋しておきますね。
この映画に描かれる事件が起きた1973年8月。ボブ・ディランは微妙な日々を送っていた。
1962年、米国フォーク界注目の新人としてデビューを果たして以来、ディランはその先鋭的な感覚と柔軟な音楽性で世に衝撃をもたらした。(中略)音楽だけにとどまらず、ファッション、アート、文学、映画など多彩な分野にまで影響を及ぼすポップ・カルチャーのカリスマだった。
が、1966年夏のオートバイ事故を契機に休養宣言。ディランはしばし半隠遁生活へ。1967年末に復帰したものの、以降しばらくの間、彼が発表するアルバムは、嵐のあとの静けさとでも言うべきか、1960年代半ばまでの激烈な疾走後の奇妙な穏やかさに貫かれたものばかりになった。(中略)本作で使われたディラン作品はすべてこの微妙な時期の楽曲だ。
アルバムで言えば1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』と1970年の『新しい夜明け』、そして1971年に編まれた『グレーテスト・ヒット第2集』の収録曲。が、意図されたものか、無意識のうちにそうなったかはともあれ、これらの楽曲の起用が映画そのものの感触に奇妙な形で共鳴しており、なんだか興味深い。
ロバート・バドロー監督は1974年生まれ。映画の時代設定自体、自身の誕生以前だ。そうした年代的なずれのみならず、カナダ生まれという地理的なずれも含め、微妙に“引いた”地点から俯瞰する形で事件当時のディランの歌声を使っただけかもしれない。自ら“アウトロー”を気取り、ドラッグをキメて、ヒッピーを装う犯人にとって、スティーヴ・マックイーン主演の映画『ブリット』ともども、アメリカ若者文化(ちょっと前の時代の、ではあるが)への憧れを象徴する記号としてのボブ・ディラン…。
が、バドロー監督も大のディラン・ファンだと言うし。これだけで終わるはずもない。同じディラン・ファンとしてはもう少し深読みをしたいところ。ある意味、深読みこそディラン・ファンの特技なのだから。
使用された4曲とも、世の喧噪から隔絶されたところで誰かとともに過ごすかけがえのない瞬間を描く曲だ。冒頭、銀行襲撃の準備をする犯人のバックに流れる「新しい夜明け」では、抜けるような青空のもと、生きている幸せを噛みしめ、“君”と過ごす新しい朝を祝福する。銀行への立てこもり直後にラジオから流れる「今宵はきみと」では、放浪の旅に終止符を打ち愛する女性と過ごす決意が綴られている。金庫室で犯人と人質が食事したり談笑したりするシーンでラジオから流れる「トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー」では、何もない一日の終わりに“君と二人、ともにいること”の喜びを神に感謝する。そして、もっとも印象的に使われる「明日は遠く」では、長くつらい旅の途上、愛する人と過ごす穏やかな夜に焦がれ、切ない思いを馳せる。
何もない、何かが起こる直前の不思議な穏やかさに覆われた時期、世間の喧騒と隔絶された地点で自らの内面と対峙していたディランが描く“平穏”への祈りにも似た思い。それが、犯人たちの胸の内に渦巻くやり場のない葛藤なり逡巡なりと交錯し、実に刺激的な異化効果をもたらしている。ぐっとくる選曲だ。
思えば、謎に満ち満ちたボブ・ディラン作品を巡っては、作者であるディラン本人と、ぼくたち聞き手との間に、常にある種の共犯意識が存在しているわけで。その感触もまた本作のテーマに相通じるものかもしれない。そういえば、ストックホルムと言えばノーベル賞でもあるわけだし。本作とディランに端を発する楽しい連想ゲームは尽きることがない。
まあ、けっこう無理矢理な深読みではありますが。こういうのが楽しいというか。いや、もう、こういうことばっかりしてきた人生だったなというか(笑)。そういう視点で映画を味わうのも悪くないと思う。連休も近いし、でも、あんまり映画館とかに出かけられそうもないし。映画鑑賞はやっぱ、おうちで、ね。気になる方、ぜひチェックしてみてください。