Disc Review

Unfollow the Rules / Rufus Wainwright (BMG)

アンフォロー・ザ・ルールズ/ルーファス・ウェインライト

経験を積みベテランの域に足を踏み入れた表現者というのは、意識的にであれ、無意識のうちにであれ、どこかの時点で新たなフェイズに入る。年輪を重ねる中、どうしても若さゆえのやみくもな勢いを失いがちになったりするものだけれど、それと引き換えに若いころには実現しえなかった深い表現のようなものを手に入れて…。

まあ、それを世間的には“円熟”とか“成熟”とか呼ぶわけだが。われわれ凡人にとっての成熟は往々にして“丸くなる”だけみたいな。価値観が淡く滲む感じの方向に向かいがちで。その変化がいいことなのか悪いことなのか、微妙だったりするものだ。対して、優れた表現者の場合は単に“丸くなる”わけじゃなく、感受性の鋭さとか豊かさはそのまま、新たな段階へと昇華するというか。

先日新作をリリースしたボブ・ディランも、どの辺だろうか、たぶん21世紀に入ってすぐ自身のプロデュースの下、きわめてリアルな音を聞かせるようになった『ラヴ・アンド・セフト』あたりから、そういう凄味をぼくたちに思い知らせ続けてくれているし。ディオンがやはり2000年にリリースした『デジャ・ニュー』以降の一連のアルバムにも同様の手触りがあるし。

もちろん、そこまで“老境”に入った感じはなくとも、たとえばニール・セダカの1970年代の活動とか、『フロム・ザ・クレイドル』以降のエリック・クラプトンとか、『サンフラワー』以降のビーチ・ボーイズとか、『ロング・ヴァケイション』以降の大滝詠一とか…。いわゆる“第二幕”。セカンド・アクト。そういう地点に、今、この人も確実に入ったんだな、と。そんなことを教えてくれる手応えたっぷりの1枚が届けられた。

ルーファス・ウェインライトの『アンフォロー・ザ・ルールズ』。

これまでいろいろなパターンのアルバムを出してきているのでなかなか数え方がむずかしいのだけれど、自作曲によるスタジオ・フル・アルバムとしては通算9作目ということになるみたい。このところ、オペラ的な世界にどっぷり入り込んでいたこともあり、ポップ系作品としては2012年の『アウト・オヴ・ザ・ゲイム』以来。プロデュースはミッチェル・フルーム。2年ほど前から制作に取りかかったようだが、曲自体はそれよりさらに数年前、オペラ作品を手がけていた時期から書かれ始めていたのだとか。

1998年にデビュー・アルバムをリリースしてからすでに22年の歳月が過ぎて。確実に円熟の域に達した彼が、自らのセカンド・アクトを意識しながら放つ新作アルバムだ。ルーファス本人の言葉によれば、彼が意識したのはレナード・コーエンの『ザ・フューチャー』とか、ポール・サイモンの『グレイスランド』とか、フランク・シナトラのキャピトル・レコード移籍後の諸作とか、シューベルトの『冬の旅』とか…。

音楽をめぐる既存の価値観に疑念を投げかけ、やみくもにアンチをとなえるのではなく、自分の中に蓄えた音楽の魔法というか、伝統というか、不変/普遍の魅力というか、そういったものに改めて無心で対峙してみる、みたいな。歌詞に関しても、ありのままの日々の移ろいにあえて素直に身を任せているような感触があって。そんな姿勢がとても印象的だ。

アーシーなカントリー・ポップ・グルーヴの下で展開する「ユー・エイント・ビッグ」や、フォーキーなアコギのカッティングに絡むジミー・ウェッブっぽいストリングスの響きが心地よい「ピースフル・アフタヌーン」など、この辺はルーファス流のルーツ・ポップか。パートナーのヨルン・ヴァイスブロットとロサンゼルスのローレル・キャニオンに移り住み充実した家庭生活を送るルーファスが、レナード・コーエンの娘、ロルカさんに代理母をつとめてもらう形で授かった愛娘に捧げた「マイ・リトル・ユー」という小品も、無垢で、さりげなくて、素敵だ。

その曲に導かれて歌われる「アーリー・モーニング・マッドネス」は、たぶん体験に基づくのであろう、酒とクスリまみれの日々をシニカルに綴る曲だけれども。手触りは、赤裸々というよりも、クール。それゆえ、むしろ鋭く胸を射貫く。この曲の後半に渦巻く混沌としたオーケストレーションをはじめ、深遠さと幽玄さをたたえながら朗々と展開するアルバム表題曲の世界観などには、クラシカルな音楽性にもラジカルな姿勢で果敢にアプローチを仕掛けてきたルーファスならではの経験が存分に反映されているようで、胸が躍る。

個人的にいちばん面白かったのは、“あなたは永遠に囚われの姫君でいるの?”と歌い出される「ダムゼル・イン・ディストレス」。歌詞に“チェルシー”なんてキーワードが出てくることからも想像できる通り、この曲、ジョニ・ミッチェルへのオマージュらしいのだけれど。ルーファスは実は子供のころ、お母さんのケイト・マクギャリグルからジョニ・ミッチェルを聞いてはいけないと言いつけられていたのだとか。ケイトさん曰く、ジョニはフォークの伝統に対する敬意が足りない、しかも売れすぎてる、と。ずいぶんと乱暴なジョニ禁止令(笑)。

でも、ルーファスのパートナーであるヨルンはジョニの大ファンで。かつてジョニも住んでいたローレル・キャニオンに引っ越してからはルーファスも自然と彼女の曲を聞くようになった。で、すっかりハマったらしい。そういえば去年の春、デビュー20周年を記念して初期アルバム2作をライブ演奏する世界ツアーの一環で来日したときもジョニの「青春の光と影(Both Sides Now)」をカヴァーして歌っていたっけ。あれも素晴らしく沁みるパフォーマンスだった。そういう一連の流れが本作の「ダムゼル・イン・ディストレス」には活かされているということか。

もちろんルーファスらしく、トランプがむちゃくちゃにしてしまった現在のアメリカでの恐怖を綴った「デヴィルズ・アンド・エンジェルズ(ヘイトレッド)」という曲もある。そして、アルバムのラストを飾る「アローン・タイム」は新型コロナウイルス禍で否応なく孤独な時を過ごすしかない人々へのメッセージだ。ピアノの簡素な響きと美しい多重コーラスに包まれながら、ルーファスはこんな言葉を繰り返しつつアルバムを締めくくるのだった。

“心配しないで/必ず帰ってくるから、ベイビー/あなたを連れ戻しに…”

素晴らしい第二幕の開幕だ。

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