ア・ステディ・ドリップ、ドリップ、ドリップ/スパークス
忌まわしき新型コロナ禍で、いろいろなアーティストのリリース・スケジュールがむちゃくちゃになっていて。ぼくがライナーを担当させてもらったアルバムも、本来ならばもう出ているはずだったのに、工程的に無理ということで夏過ぎのリリースにリスケされたものが数作あったり。しばらくは混乱が続きそう。
と、そんな中、もともと5月15日に発売予定だったスパークスの新作も、CDとかアナログとか、フィジカル・リリースが7月3日に延期されてしまって。仕方ないこととはいえ、ちょっとがっかりしていたら。いやいや、とんでもない。ストリーミング/ダウンロード販売だけは来ましたよ。予定通り。今日。
CD屋さんにはちょっと行けないけど、おうちで時間だけはたっぷりある、みたいな。そういう日々を送るしかない今のわれわれにはうれしい配慮。てことで、さっそく堪能しております。2017年に出た前作『ヒポポタマス』が、まあ、間にフランツ・フェルディナンドとのコラボ・アルバムとかラジオ用ミュージカルのアルバムとかを挟んでいたとはいえ、オリジナル・スタジオ・アルバムとしては9年ぶりのリリースだったことを思えば、今回は3年ぶりってことで、そこそこ早いペース。
しかも、今年がロン&ラッセルのメイル兄弟にとってスパークス結成50周年ということで。彼らが音楽・脚本を手がけたミュージカル映画の制作とか、バンドのドキュメンタリー映画とか、いろいろな計画も明らかにされている。10月にはツアーもやるとか。去年もその前哨戦という感じで、兄弟自らベスト盤をコンパイルしたり、『官能の饗宴(Gratuitous Sax & Senseless Violins)』の25周年記念エディションをリリースしたり…。
新型コロナ禍で先行きどうなるか予断を許さないとはいえ、2020年はスパークスにとって盛りだくさんのアニヴァーサリー・イヤーになる…と、いいなぁ。
そんな中、配信開始された新作『ア・ステディ・ドリップ、ドリップ、ドリップ』。数え方によって変わってくるけれど、とりあえず通算24作目だとか。相変わらず一筋縄にはいかない、ちょっと歪んだポップ感覚満載の仕上がりで。これを半世紀やり続けているってことだから。すごい。
かつて、1970年代半ばに『キモノ・マイ・ハウス』がイギリスで当たったのをきっかけにぐっとメジャーな存在になって。ぼくもその時期にスパークスの音楽を初体験。既存のポップ音楽の定石を壊すというか、ひねるというか、そういう柔軟な感覚が実に新鮮で。ちょっと芝居っ気がきつめかな…と、当初は腰を引き気味ではあったものの。それ以前のハーフネルソン時代の音とかにも接するようになって、そこに詰め込まれたマジカルなポップ・センスにどハマリ。以降、すっかりクセになって現在まで。
まあ、この人たちの場合、壊し続けるという行為自体が実は壊していないことになる、ひねくれ続けることが実はひねくれたことにならない…みたいな(笑)。在り方自体にそういうややこしいねじれ現象をあらかじめ孕んでいるわけで。その辺も含め、どうにも解決しようのない自己矛盾みたいなものが、またたまらない魅力だったり。
というわけで、今回もそういう仕上がりです。壊すとか、ひねるとか、そういうちまちましたことはもう考えず、ジョルジオ・モロダーとの蜜月時代の感触とか、『キモノ・マイ・ハウス』期っぽい快感とか、1970年代っぽいグラマラスでキッチュなパワー・ポップ感覚とか、往年の栄光を辛辣に皮肉るようなシニカルな視点とか、そういう半世紀の蓄積を余すところなくぶちまけつつ持ち味を存分に発揮した1枚。
昔から、ついアレンジ面とかサウンド・コンセプト面からばかり語られることが多くなりがちなスパークスではありますが、初期10CCあたりと同様、決定的に曲そのもののクオリティが高いところが彼ら最大の評価ポイント。そんな本質がたっぷり楽しめる新作だ。
50年もひねくれ続けりゃ、それはもうひねくれじゃないってことか。