Disc Review

Memory Almost Full / Paul McCartney (Hear Music/MPL/Universal)

メモリー・オールモスト・フル/ポール・マッカートニー

G-Poも500を突破して。快調なジャイアンツ戦観戦の日々が続いております。

先日のV9ナイトも楽しかったなぁ。今のユニフォームに相変わらずなじめないぼくにとって、往年のユニでジャイアンツが戦っているだけでワクワクもの。そこにV9戦士たちも勢揃いしちゃったわけで。いやー、この日のチケット買っておいてよかった。山崎のホームランも見られたし(笑)。ホリンズの逆転スリーランもあったし。上原の三者連続三振も痛快だったし。

ただ、隣にねぇ。うるさいオヤジがいて。誰にアピールしようとしてるんだか知らないけど、でかい声で文句ばっかり言って。面白いヤジなら許せるものの。そのオヤジと来たら、すべてが的外れ。スライダーとカーブの違いもわからない。豊田がフォーク投げることすら知らない。由伸がフォーム改造したことも知らない。二岡のバッティングの特徴もわからない。加藤健が代打で出てきたら、「誰だこいつは。どこから来たんだ」とかアホなこと言う。投手のローテーションもまったく把握していない。要するに、野球を知り抜いた辛口オヤジぶりを周囲にアピールしようとしているわりに、実際には自分の無知を、でかい声で表明しているだけ、という。近くにいた全身オレンジのちびっ子ファンのほうがよっぽど的確、かつ面白いヤジをとばしていた。

あまりに耳障りなので、さすがにゲーム終盤、「お楽しみ中すみませんが…。うるさい」って言ったら、ようやくおとなしくなったけど(笑)。

こういう輩はどこにでもいるね。音楽の場でも少なからず、いる。聞こえよがしに文句ばっかり言ってるやつとか。誰にアピールしてるんだ、みたいな。で、言ってることを聞いてみると、大方、いわゆる半可通。スポーツでも音楽でも、半可通レベルがいちばん外に向かって何かをアピールしがち。始末に負えない。深く知れば知るほど、普通はむしろ何も言えなくなってくるというか。謙虚になるというか。自分はまだまだ何も知らないってことをも思い知るものだ。

まあ、“役割としての辛口”ってのもあるから一概には言えないものの。辛口ってのは、大半、知ったかぶりの裏返しだったりするので。特に何のリスクも負わずに辛口を気取れるシロートさんたちのそれは、聞き流すのがいちばんっすね。とはいえ、公の場で大声でそういうことやられるのははっきり言って周りに迷惑なので。辛口を自称するシロートさんの側でも、ぜひ自重していただきたいものです。誰も楽しくならないというか。空気悪くなるだけだから。

もちろん、自戒もこめてますよ。ぼくも音楽評論家とか呼ばれるようになって25年くらいになるのだけれど。ちゃらんぽらんに見えるでしょうが、実はこれでも日々、あれこれ音楽の歴史をそれなりに研究したりしてきているわけで。今から振り返ると、若いころとか、ずいぶんと思い切ったこと言ってたなぁ、と(笑)。冷や汗ものだったりします。それが若さだ、と開き直るしかないのかもしれないし。若いうちはむしろそのくらい怖いもの知らずのほうがいいのかもしれないとも思うけど。いやいや、やっぱ勉強は大事っすね。世の中、知らないことだらけだもの。

ぼくが大学生だったころにボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンについて語っていたこととか、まあ、当時の友達しか耳にしてはいないこととはいえ、忘れてもらいたいです(笑)。今にして思えば、何にもわかっちゃいなかったなって感じ。そういえば、まだ出版社勤めをしていた80年、ポール・マッカートニーの『マッカートニーII』が出たとき。あーあ、ポールも終わったな、と思ったこともあった。おー、恥ずかしい(笑)。歳月を経て、今では『マッカートニーII』も大好きなアルバムのひとつだもんなぁ。半可通の即断ほど怖いものはない。

てことで、当然ながら全然終わってないポール・マッカートニーの新作。ご存じの通り、“64歳になってもまだぼくを必要としてくれるかい?”と40年前に歌っていたポールが、実際に64歳になってレコーディングしたアルバムだ。あちこちで“昔に戻った”みたいな歓迎のされ方をしていて。確かに。ぼくもそんなふうに感じながら、毎日楽しんでいる。64歳になっても、ぼくたちはまだポールを必要としてます。聞いて即、いやー、いいメロだのぉ、ととろけちゃう曲もあれば、なんじゃこりゃ…的なヘンテコな曲もあり。そんな気ままな振れ幅も含めて、いかにもポールっぽい仕上がり。後半のメドレー部分とかも、ね。LPのB面のメドレーか、おおっ…って感じで。今現在も好きなアルバムだけれど、経験則上、これからもっと好きなアルバムに育っていくんだろうなという感触がうれしい1枚です。

リンダさんとの死別という深い悲しみも癒え、ヘザーさんとのごたごたもとりあえず収まり。もしかしたら、パートナーとしての女性の影がぐっと薄い、独身貴族ばりばりのポールのソロ・アルバムって、これが初かも。リンダさん他界後の『ラン・デヴィル・ラン』は、リンダさんが生前から望んでいたロックンロール・アルバムだったという意味で、やっぱりリンダとともにあった1枚だったし。次の『ドライヴィング・レイン』のころにはすでにヘザーが現れちゃっていたし。まあ、歌詞をあれこれ細かく詮索していけば、今回も「グラティテュード」あたりを筆頭に、ヘザーさんとの関係を感じさせる表現も随所に見受けられはするけれど。全体にみなぎるいい意味での開放感ってのは、ばりばり独身という現在の環境と無縁ではないような気がする。

この盤が出るまで、けっこうよく聞いていたのがウィルコの新作『スカイ・ブルー・スカイ』で。ジェフ・トウィーディの歌詞に、なんともいえない、軽い諦観というか…まあ、こんなひどい世の中だけど、そう悪いもんじゃないって気がしてきた、みたいな、そういう表現が聞かれたりして。これもまた、今の時代ならではの年齢を重ね方なのかな、と。それはもうすぐ出るライアン・アダムスの新作にも相通じる感触なんだけれど。

ただ、当然のように、ポールはもうその先に行っちゃってるというか。たとえば今回の新作の「ジ・エンド・オヴ・ジ・エンド」って曲で“終わりは始まり。死もそう悪いもんじゃない。よりよい場所への旅立ち。そして、思い出が残る。歌が残る”的なことを歌っていて。トウィーディやアダムスのような中堅世代の絶望の裏返し的な達観とは違う、もっと軽やかに吹っ切れた手触り。さすがにここまで枯れちゃうと、お若い方々にはもはやピンとも来るわきゃないって気がするけれど。なんか、この明るさと気ままさ、おっさん音楽ファンとしては、まじ救われます。

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