地下世界のダンディ(3CDデラックス・エディション)/T.レックス
カネやんのご冥福を祈りつつ…。
さらに、今日の深夜24時からFMヨコハマで『otonanoラジオ』という番組のセカンド・シーズンの進行役を担当させていただくことになりました、というご報告なども改めてしつつ…。
平日、日々更新をめざして地道に続けている本ブログ、今朝も淡々と。
最近のめちゃお気に入り盤としては、ノンサッチ・レコードから立て続けにリリースされたレイチェル&ヴィルロイのアルバムと、ギャビー・モレノ&ヴァン・ダイク・パークスのアルバムですが。この辺はノージくんから教わったもので。本家ノンサッチからも「いいね」されちゃってるノージくんのノンサッチ自警団新聞(笑)に熱く詳しい紹介があるので、ぜひそちらを参照していただくことにして。
こちらでは、もろ旧世代洋楽ファンらしい、ぐっとお古いアイテムをご紹介しましょう。T.レックスです! 彼ら、というか、中心メンバーであるマーク・ボランにとって最後のスタジオ・アルバムとなってしまった『地下世界のダンディ(Dandy in the Underworld)』のデラックス・エディションがCD3枚組というボリュームに拡張されて出ました。
ぼくがT.レックスのファンになったのは、当時、テレビやラジオを通して故・加藤和彦さんが推しまくっていたおかげだ。それでさっそく手に入れたのがアルバム『電気の武者(Electric Warrior)』。1971年暮れだったか、1972年の初頭だったか。お年玉をつぎ込んだ覚えもあるので、1972年のお正月だったかもしれない。そしてA面冒頭の「マンボ・サン」からいきなりやられた。続く「コズミック・ダンサー」へと連なる流れが大好きだった。ストリングスやコーラスがうねうねと絡みつく、どこか呪術的とも思えるアンサンブルがやけに印象的だった。
“ビバップの月の下、君とささやくように歌いたい/マンボの太陽の下、君の男になりたい”とか、“ぼくは12歳のころ踊っていた/ぼくは子宮から踊り出たんだ”とか、難解なような、意味がないような、むちゃくちゃイマジネイティヴな言葉が交錯する歌詞の意味は当時(いや、今なお)まったくわからずじまいだったのだけれど、そうした“語”をひたすらマジカルに響かせるマーク・ボランの歌声に何よりも強く魅せられた。あのころのぼくが好きになりたてだったボブ・ディランからの影響なども強く聞き取れて、とても興味深かった。
もちろん「ゲット・イット・オン」「ジープスター」といったシングル・ヒット曲もかっこよかった。「モノリス」「ライフズ・ア・ガス」あたりのキュートなポップ・メロディにもぞっこんだった。このアルバムを皮切りに、ぼくは時を遡ってT.レックスの既発アルバム群を少しずつ集めていった。すでに次アルバム『ザ・スライダー』からの先行シングル「テレグラム・サム」もラジオを賑わし始めていた。
『電気の武者』のヒットを受けて初期音源のベスト盤『ボラン・ブギー』も編まれた。そして、そこに収められていたティラノザウルス・レックス時代の音源にも耳を奪われた。以降、ティラノザウルス・レックス時代のアルバム群も輸入盤バーゲンなどに通って買い揃えるようになった。そんな中、さらなる強烈な一撃。大傑作アルバム『ザ・スライダー』が出て。「テレグラム・サム」に続くシングル「メタル・グールー」も大ヒットして。初来日もあって…。
で、その来日時に東京で録音した楽曲も含む新作アルバム『タンクス』が出た1973年初頭あたりまでは英米でも日本でもそれなりに熱狂的な人気が続いていた気がするのだけれど。以降は、なぜか一気に地味に。なぜだったんだろう。みんな飽きちゃったのかな…。
ぼくにT.レックスの魅力を教えてくれた加藤和彦さんですら、この時期、すでにT.レックスにではなく、ロキシー・ミュージックやデヴィッド・ボウイら同じグラム・ロックの枠でくくられながらもより成熟した音楽性を主張するアーティストへと興味を移していた。テレビ情報番組などで今野雄二さんと二人、「T.レックスなんてガキ。本当にグラマラスなのはボウイとロキシーだよ」とか語り合っていた。なんだよ、まったく…。彼の強力なリコメンドに乗せられてT.レックスのファンになったぼくは、なんだか取り残されたような寂しい気分になったものだ。
デカダンとか何とか、ぼくがその手の機微に鈍感な馬鹿ガキだっただけかもしれないのだけれど(笑)。
ともあれ、それまでは出すシングルすべてがヒットチャートのトップに躍り出ていたT.レックスも、1973年の暮れになると徐々にシングルもトップ10入りしなくなり、30位近辺をうろうろするようになった。結成以来の相棒、ミッキー・フィンとも、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティとも袂を分かった。そしてボランは1975年、ついにT.レックスの消滅を宣言。英国名物、重税を逃れるためにアメリカへと渡った。そしてドラッグとアルコールと放蕩と肥満の日々。
その時期のアルバム群もけっして最悪の出来というわけではなかった。混沌渦巻きすぎの74年の『ズィンク・アロイ…(Zinc Alloy And The Hidden Riders Of Tomorrow Or A Creamed Cage In August)』や、流行のディスコ方面をボランなりに意識した76年の『銀河系よりの使者(Futuristic Dragon)』あたりは確かに微妙だったが、少なくとも75年の『ブギーのアイドル(Bolan's Zip Gun)』にはボラン独特の妖しくキュートなボップ感覚が漂っていて。楽しかった。にもかかわらず、転落したイメージが強かったせいか、セールス的にはどれも惨敗。くそー、やはり加藤さんは正しかったのかも、と。ファンとしてあろうことか、少し弱気になったりもしたものだ。
が、やがて1976年、マーク・ボランに別角度から再び脚光が当たり始めた。驚いた。当時、盛り上がりつつあったパンク/ニュー・ウェイヴ・ムーヴメントの下、ファッション性の違いはあれ、マーク・ボラン/T.レックスが得意としていたシンプルでストレートなロックンロール・フレイヴァーが見直され始めたのだ。マーク・ボランは改めてロンドンへ。1977年にはT.レックス再編ツアーを開始した。
そんな流れのもと、リリースされのがアルバム『地下世界のダンディ』だった。T.レックス復活のドラマがスタートしようとしていた。精神的にも肉体的にもボロボロだったと伝えられている晩年のボランながら、音楽的にはまったく衰え知らず。ホーン・セクションも含む腕ききセッション・ミュージシャンたちががっちりバックアップした音世界はもはや従来のバンドのそれとは別物ではあったけれど、代わりにボランは最高にタイトなポップ・グルーヴを手に入れていた。新たなマーク・ボラン・ワールドはごきげんに強力だった。ほら見ろ、と、いったんは取り残された寂しさを覚えたぼくも大いに盛り上がったものだ。
が、直後、マーク・ボランに訪れた思いもかけない悲劇のことは改めて語る必要はないだろう。享年29。あまりにも短い生涯。でも、もしかしたらこの短さ、この誰にも追いつくことなどできないスピード感こそがT.レックスだったとも言える。ティラノザウルス・レックス名義でデビューを飾った68年から悲劇の自動車事故に襲われた77年まで。混沌と退廃の10年間。たった10年。この短いワン・ディケイドをまさに光速で駆け抜けたマーク・ボラン/T.レックス。そう思うと、やけに短い人気絶頂期間もまた仕方のない宿命だったような…。
と、そんな最後のスタジオ・アルバムのデラックス・エディション。英エドセル/デーモンがハードカヴァー本仕様で出し続けている“ブック・セット”というシリーズの第4弾だ。これまでに『タンクス+ズィンク・アロイ』『ブギーのアイドル+銀河系よりの使者』『ボーン・トゥ・ブギー』と出ていたけれど、その最新リリースということで、アウトテイク、デモ、ラフ・ミックス、リハーサル・テイク、初期ヴァージョン、アルバム未収録シングル曲など、36トラックのボーナス音源を追加収録。うち20トラックが初出。浴びてます。溺れてます。
『モジョ』誌のマーク・ペイトレスらが執筆したブックレットもやばい。超マニアが所有しているファースト・ジェネレーションのマスター・テープを使ったリマスター音源だとか。なんか、すごい。音質、けっこういい感じ。
マーク・ボラン、やっぱ永遠です。